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秋葉原に立つオタク(Round.2)

2008-10-18

集「リアルのゆくえ」の後半についてのコメントです。
2007年の対
2008年7月、秋葉原での殺傷事件を請けての
緊急対がありました。
あまり脈絡もなく、
「萌え要素の集合」とか「データベース消費」の
典型例に挙げられていた
いくつかの作品のうち、
私でも確かにそんな気がするとった
「でじこ」の画像を貼っておきます。
でじこ
著作権ぎりぎりかも。

おたく評論家による発と
オタク評論家による抗弁の応酬のうち、
目を惹いたものは追記に載せてみます。
初めは真意を図りかねたため、
ことばのプロレスなんだと認識するのに
時間かけてしまいました。
もともとこの対(集)の中で完結する話ではなく、
舞台をあちこちに移しながら
この人たちは巡業していくのだろうなあと、
今更ながらいました。
ずっと若い精鋭の評論家が、不器用そうで
実は不気味な位の余裕からスタンスを崩さずに
応対し続けたことを
最後まで読み通した結果、
確認できました。

発によりオタク評論家は、
世代に共通するリアルの世界内の充足から抜け出て、
同世代の感覚や考を代表する語り手として、
立ち上がらざるを得なくなった、というところで
この本は終わってます。

あとがきまで「ふるってる」なといました。
 対になっていたはずの双方のあとがきのうち、
 印刷に回す2日前に、
 大塚氏が自らのあとがき原稿の削除を申し出てきた。
 事情は分からないがそのまま出版されることになった、
という、
東氏による附記で終わってます。
こういうのって、
いいとこで終わってしまう紙芝居屋のおじさんの
手法と同じかなと。
(月光仮面とか黄金バットとか、
 急に譬えが古いですけど)
その辺もまたプロレスかな。
うまくのせられてしまいました。
2007
『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』
やっぱり読まないといけないなあ。

コミュニケーション消費:作品が作品としてではなく、ただのネタとして受け入れられてしまう状況
作品がネタになり作者がデータベースの1項目になり、
いっしょくたになって消費されていく、
その状況じたい、きっとそのうち破綻するよねー
います。
そう考えると私も大塚氏の世代に属する感覚なのかな。

赤木智弘『若者を見殺しにする国』
・むかつくのは近くにいるちょっとした金持ち
・近くに住む正規雇用の労働者と、自分のようなフリーターの関係を撹乱させるためだったら、俺は戦争でもなんでもやるよ
→自分のまわりの小さな格差で汲々としている
→本質的にネットによって増幅された現象/小さな実感に基づいたルサンチマンのネットワーク
→心のワーキングプア
同世代の感覚から、
こういう本を書いてる人もいるんですね。
おたくたちの左傾化・労働運動化
→戦後社会のせいなのか、あるいはそれ以前にもっと根本的な原因があるのか
「蟹工船」の流行とか、共産党に入党する若者の増加って
ホント?(ネタ?)
モード?

発の1:
大塚 ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な想だって話になっちゃうよね。
東  楽といえば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)
苦し紛れかとってましたが、余裕で請けて立ってるらしい、
というのが通読した結果の判断です。
ここからしばらくは
「公民」
「公共性」
について、決して折り合わないやりとりが続きます。
(それもわざと折り合わないらしい。
 めんどうなことやってます)

抗弁の1:
私的にどれほどすばらしいことを信じていたとしても、それは公的なアリーナに入った瞬間に相対化され、普遍化できないとう/たんなる私的なコミュニケーションが大量に見えるようになっただけです
抗弁の2:
読者層に対して責任をとるというのも、実際には読者層のイメージが漠然としていたから可能だった
オタクならではの自閉的な抗弁と
おたく世代にも通じる高い視点からのニードロップキックの
両方で対抗してくる感じです。

名前のない多数が空気を読み合って決めるという、もっとわけのわからない状況
うまく説明できませんが
この表現にぐっと来ます。
ネットの外にある例として「本屋大賞」を上げているのも秀逸です。
「ニート論壇」の存在も初めて知りました。
考えてみれば売れてない頃の評論家や作家は
昔からニートまたはフリーターですよね。

抗弁の3:
政治や社会について語る際の大前提のフレームワークを、新人類世代まではかなり保ってきたのだな(中略)ところが、ぼくのような団塊ジュニア世代、そしてそれ以降はそれが壊れちゃってる。だから、「希望は戦争」とかあっさり言えちゃうんです
抗弁の4:
九〇年代の変化が激しかったのは事実でしょう。そういう激変があると、世代間のコミュニケーションコストも、国外とのコミュニケーションコストもすごく高くなる。/そしてパラダイムが変わると、内部でもみんなバラけちゃう
→バベルの塔はべつに壊れてないよ(大塚)
→反論:かつて知識人と呼ばれていた人の役割は、情報発信の機能を出版が独占していた状況でしか成立しない虚構だった
うんうん、正面から戦ってる。
空気を読まざるを得ない/繋がってないと不安
「郵便的不安」という
東氏の概念の含意が解りました。

発の2:
ポストモダンなのか、あるいは近代がまだ終わってないないのか(大塚)/君が語る下部構造論(大塚)
下部構造、ってことば
久しぶりに聞きました。
マルクスに何年ふれてないかなー

発の3:
ネットに人びとの共同性が移行したとき、そこに社会という理念形は残らないのか。(大塚)
→そもそも、ポストモダニズムというのは、政治的には本質的に現状肯定しかできないロジック/どうしてそんな無理をして政治化しなくてはいけないのか/むしろポストモダニズムの言説の毒というのは、政治性や主体性の議論を無効にするところにある
この辺で、東氏は大塚氏に負けてきてる
いました。
議論のための議論になってきてると感じました。
そういう議論を出版してるってことが、
実際矛盾してますよね。

2008
この半年の間でぼくの公共性に対する距離は変わっている
この国では、若い世代にしか分からないリアリティがあるのにそれが社会や政治の言葉に翻訳されず、いつまでたっても「おまえら大人になれ」ということばかりが言われ続けている、その状況に対する不満
やっと怒れる若者たちの仲間入りをしました。
仕掛けられたというより、
仕組まれたイニシエーション(通過儀礼)?
というのが、とどのつまりの読後感でした。
かなりの長文にて失礼しました。
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