スポンサーサイト

--------

Tag :

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

開発主義と自己責任のつよい関係

2009-05-31

日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由
「開発主義国家と「構造改革」」
原稿書かずにウェブ漂流している間に
たどり着きました。
「すくらむ」さんという、
国家公務員一般労働組合の活動をしている方々の
ブログにトラックバックしました。
もともとは
都留文科大学・後藤道夫教授による「社会保障基本法」に関する講演要旨の続きです。
だそうです。
その先生の著書にたどり着いたので
画像を借りてきました。
以下、引用ばかりで芸がありませんが、
よかったらお付き合いください。

開発主義国家ということばを初めて知ったのですが、
「政・官・財癒着」、「業界横並び体質」、官僚の「仕切り」などと呼ばれている日本の社会システム
を指すそうです。
 「開発主義」は、官僚機構に強い指導限を与え、それと大企業の利害、業界利害、地域利害が自民党を通じて政治的に結びつく、独特の非民主主義的な社会構造をつくってきました。つまり、全国規模の問題でも地域でも、企業や財界、官僚、保守政治家が、国民の目の届かないところで、産業政策と財政支出を事実上独裁的に動かしていく大規模な談合型の政治・行政運営が生み出されてきたのです。
感心してばかりですが
なるほどねー、
と思いました。
「開発主義国家」は「福祉国家」とは
似て非なるものだそうです。
「開発主義国家」であった日本では、政府の財政力、行政力は、企業、業界、各種利益団体のところに注がれます。その結果として、国民の生活がなんとか良くなる、マーケットの状態が良くなる、雇用が増える、賃金水準が上がる--というふうにして国民の生活が、政府から社会保障として直接支援されるのではなくて、「開発主義」政策を通じて間接的に支援されるという構造を取ったのが日本の「開発主義国家」です。
右肩上がりでないと
福祉に目が行き届かなくなる社会構造を
こんな風にまとめることができるんですねー。
 日本におけるこの間接的支援というやり方は、結局最後は「市場収入で暮らしなさい」という話です。だから、「開発主義国家」において、ミクロには「自己責任」の社会であるということです。日本ではこうした「自己責任」の状態が何十年も続いてきたわけです。これが、いまの新自由主義改革に対して、日本の国民にほとんど抵抗力がない1つの背景になっていると思います。
グローバル社会にも福祉国家にもなりきれない事情が
くっきりはっきり書いてあると思います。
「自己責任」ということばのもつ、
あの独特の押しつけがましい感じが
こういうカラクリから来ているのかと
とても腑に落ちました。
それじゃ成り立たないわけです。
 そして、国民、労働者の側は、これまで「開発主義国家」と「企業主義統合」の中で暮らしてきましたから、国家行政と地方自治体などから生活を支えてもらっている実感がほとんどないわけです。行政サービスを受けているという実感のあまりない国民は、「開発主義国家」における官僚の腐敗などをマスメディアでみせつけられると、「官僚が日本をダメにしている」などという公務員バッシング言にすぐだまされてしまうわけです。しかし問題の本質は、「政・官・財癒着」の社会システム、つまり、自民党政治とキャリア官僚と財界・大企業の合作政治・行政にあるわけで、その構造にメスを入れ、改革していかなければ日本社会を改善していくことはできないのです。
そろそろ政交代もあり得るのかなと思えてきた昨今、
政治・官僚・財界の癒着構造が
メディア報道からも背景に見えるように
なってきたかなと思ってます。
癒着をどこから剥がしていくことができるのか
ちっとも見えないのが心配ですが、
後の世代にどういう国づくりを残して行けるか
大切に考えてできる範囲の政治参加をしようと
改めて思いました。
さて、原稿も書かなくちゃ
FC2 Blog Rankingにほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 新自由主義
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

ようこそ

アクセスどうも

プロフィール

ito.tamuro

Author:ito.tamuro
生きてるだけで
気恥ずかしいのは
歳が増えても
抜けません

おもちゃ箱

点取り占いブログパーツ

助かる~リンク

わりと新しい記事

すこし新しいコメント

これでも新しいトラックバック

RSSフィード

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。