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サンスをめぐる哲学

2009-08-16

Tag : 屈託

熊野純彦「メルロ=ポンティ
 哲学者は詩人でありうるか?」(NHK出版)

「メルロ=ポンティ」
「シリーズ・哲学のエッセンス」のうちの一冊です。
随分前に「レヴィナス」を読んで
想を書いたことがありました
最近は屈託に耽る暇もなく、
その分は生きてるじがしません
(ゼイタクな・・・)。

メルロ=ポンティは1961年に53歳で他界してます。
もっと長く生きてたら、
どんな著作を書いたのだろうかと考えると
すごく気になります。

日本語で読んでもフランス語で読んでも
(読めないけど)
よく分からなかった文献の中で、
右手が左手に触っているときは
左手も右手に触っている、
という相互作用の新鮮さが残ってます。
・・・ひょっとするとそれは都合のいい記憶で、
実は中村雄二郎の解説にあったのかもしれませんが。

味で覚を縛りつけるのではなくて、
覚の中から浸み出してくる味をじわっと味わうのに、
フランス語は適してるなあといます。

この本でも
哲学と詩の異同を論じる形をとって、
メルロ=ポンティの索を辿ってます。
「樹が私に語りかける」のは、
索の発端としてはアリですが、
哲学には禁じ手になっている
という狭苦しさを指摘してます。

メルロ=ポンティならば、
その狭苦しさを解き放つ想を
発展させられたんじゃないだろうか、
もし生きてたら・・・ですが。
改めてそんなことを考えました。
よく分かってもいないくせに。

この本を読んでも
メルロ=ポンティの想が
系統だててよく解るわけではありません。
でも、同じsensを持ってる人ならば、
メルロ=ポンティのファンにはなれるかも。
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