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私はユダヤ人をよく知らない

2008-05-21

内田樹「私家版・ユダヤ文化論」文春新書
「私家版・ユダヤ文化論」


思想家であって武道家であって、
女子大の教授でもあるという、
私の知り合いにはあまりいそうにない人が著者です。
レヴィナスを師と仰ぐ先生で、読み進めると感覚が近いというか、
同じようなところにこだわって世間を見つめてるなあ、という、
屈託の匂いを感じます。

実に色々なことが書いてあって、
感想自体まとめきれないけれど、
ユダヤ人のことも
ユダヤ教のことも
反ユダヤ主義のことも
戦前の日猶同祖論のことも、
ちっとも知らない私であっても面白い本でした。

哲学者の書いた哲学の本だろうと思って手に取りましたが、
思想家の書いた思想の本だったことが、
終わりまで読んで実感として分かりました。
つまり、自分が思ったことを書いてあるのであって、
解説や論述とは異なる感じです。
(だから私家版、なのでしょうが)
的確な言葉や視点を探り当てようとしながら書き進めて、
一番言いたいことをその前後の文脈も含めて、
今の最大限の正確さで言い切ることができたところで話は終わります。
つまりはおじさんのおしゃべりと同じです。
相手が聞いてるかどうかはわりとどっちでもいい。
一番しゃべりたいことをできるだけ熱く正確に、
自分の納得いく言葉で表したい、それで完了。
なるほど、武道家で思想家、というのが腑に落ちました。

第一章、第二章、第三章が別にあるのに、
終章が全体の3分の1の厚みをなしている本というのも珍しいです。
フロイトの「トーテムとタブー」私は読んだかな。
勉強になりました。
結びに近づいたところでレヴィナスをひきながら、

 実際に罪を犯したがゆえに、有責性を覚知するのではなく、有責性を基礎づけるために、「犯していない罪」について罪状を告白すること。それが「私は自分が犯していない罪について有責である」という言葉にレヴィナスが託した意味である。
 この偽造記憶は外部に投射された自責のための擬制としてではなく、まぎれもない事実として受け容れられなければならない。にもかかわらず、罪深い行為は事実としては決して存在してはならない。なぜなら、事実として存在した瞬間に、私の有責性は私の外部に実定的な根拠を有することになり、それは倫理の問題ではなく、単なる「復讐」と「損害賠償」の法的問題に転化されるからである。

(原文の傍点に代わり下線)
ユダヤ教におけるアナクロニズム(時間錯誤)を解説するんですが、
先生自身が有責性を生まれる前から引き受けていて
それを日頃から何かと自覚しながら生活しているんじゃないかと思わせるような
陶酔的でかつ生々しい口調で論説を繰り広げる。
その感覚は何だか近いなあと思いました。

もちろん、うさんくさい私は脚下にも及ばないのですが。
身体感覚に敏感でそれを言い当てようとするところが、
いいなあと思うので、
またこの先生の本を手に取ると思います。
(といういつもの号令ですが)
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